レッサー・ウリィ展

Leo lesser Ury

--国

見どころ

  • 国内初の単独展覧会
    今回、日本では史上初のレッサー・ウリィ単独回顧展が神奈川県立美術館にて開催されます。 2021年に三菱第一美術館で開催された、「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展にて、モネやルノワールよりも注目を集めたレッサー・ウリィ。本展覧会では、まだ知られざる彼の魅力に迫ります。
  • 日本初上陸の作品たちを公開
    本展覧会では、初公開かつ初来日の作品が神奈川県立美術館に揃います。国内外の主要な美術館に協力頂き、本展覧会のためだけにウリィ作品が集います。また同時代のドイツ分離派の画家たちの作品も集う、またとない機会です。
    • 大工アダムチャウディ
      大工アダムチャウディ(1890年頃)
    • ライプツィヒ通り
      ライプツィヒ通り(1889年頃)
  • 知られざるウリィの世界
    日本ではまだ広く知られてはいないウリィ。本展覧会では彼の生涯を通して、彼の知られざる側面、そして彼が熱心に力を入れていたとされる旧約聖書の世界を描き出した作品にも注目しながら、彼の魅力に迫ります。
自画像

レオ・レッサー・ウリィ

Leo lesser Ury

1861年、プロイセン王国のビルンバウム(現ポーランドのミェンヅィフト)に生誕。11歳の時に父が亡くなり、一家でベルリン郊外に移り住む。学校を卒業後は、画家修行のためにデュッセルドルフ美術アカデミーで1年ほど学び、その後はミュンヘン、アントワープ、ブリュッセル、パリと各地を遍歴し、最終的にはベルリンへ戻り、終生までの拠点とした。

1889年に初の個展を開き、賛否両論あったものの、アドルフ・フォン・メンツェルに評価されたことで、賞をもらい、その賞金でイタリア旅行をした。この時の旅行以後、ウリィは何度もイタリアを訪れることになる。 1893年にドイツとオーストリアで起こった分離派運動の影響を受け、フランツ・フォン・シュトックらが所属する「ミュンヘン分離派」に参加した。その後はベルリンに戻るものの、ドイツ印象派の重鎮であったマックス・リーバーマンとの確執により、画廊の展示やベルリン分離派への参加が妨害されるといった事態が発生した。リーバーマンがベルリン分離派の会長職を辞任した後、1915年頃からベルリン分離派にも作品を出展するようになった。

街並みの風景画を多く描いたウリィだが、一方では宗教画家としての側面も持ち、ユダヤ教を題材とした多くの作品を制作した。彼の作品はベルリンに存在したユダヤ博物館に収蔵されるが、ナチス党が政権を取ったのち、弾圧対象となってしまい、多くの作品が散逸する憂き目にあってしまった。戦後、再発見された作品や、亡命ユダヤ人たちの手によって保護された作品が今日まで伝わっている。

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